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百歳長生法 健康と病気 

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近来平均寿命が延長しつつあることが、最近諸外国の統計によって示されているが(日本は明治19年ごろより次第に短縮しこの4、5年少しく挽回したけれどもなお明治20年前後に及ばざること遥かに遠し)これによって我々の健康が増進されて来たと思っては大きな間違いである。

 これは戦禍による死亡率の減少と医学の進歩による悪疫流行の防止等に基因せるものにして、長寿者の減少しつつあるは事実である。また身体が弱くなり、病人の増えてくるのも事実である。

 これ現代の文明病たる化学万能の必然の結果として、自然生活に離反するもの多きに基づいたものである。しからば医化学の進歩というものは、不健康を生み短命を助成するものかと言うに、決してそうではない。否医化学の進歩は人類生命の上に広大の恩恵を与えているのである。
しかるに人はこの運用を誤り一日の予防は十日の治療に勝るという金言を忘れて薬と医者にさえ頼らばどんな不摂生をしてもよいと言う、いわゆる医薬万能の中毒に陥った結果、例え壮年時の病禍を医学の力によりて救うといえども、老年に至り天刑たちまち表れて五十、六十の若輩連が将棋倒しにあうのである。

 人の死は大体において病死か、老死の二つに分類することができる、しかしてその大半は病死による、ゆえに人もし長生せんと願わば病に冒されざることである。実に病に冒さるることは人間の最大苦痛である。

 「健康は富に勝る」とは至言である。
 病に冒されるほど世に不幸のものはない、生活難に悩むのも、心にもない罪を犯すのも、家庭不和の原因も、早世の悲しみも、皆不健康のため、病気のためであると思えば、世に病ほど恐るべきものはない、誰か病を望んで健康を望まないものがあろうか。

 不幸を願って幸福を望まないものがあろうか。されど吾人人類は僅かの不注意、僅かの怠りのために数百倍、否数千倍の苦悩の報酬を受け取るのである。病気の大部分は我々の不養生と不注意の二言につきていると思う。

 ある人はいった。「伝染病がなかったら、人間は何をするか解らぬ、堕落のどん底に陥るかも知れぬ、病があるために警戒するのである、ゆえに病も必ずしも呪うべきものではない」と実に至言である。
 ピタゴラスは「人の病は自ら招きしものなり」と言い、石塚左玄は「病みな日々の食物の喰い違い正しき食に煩いはなし」と。

 健康の真義は形態の上のことではなく働きの上のことである。そもそも「健」というのは日、月、星、辰の昼夜間断なく巡り行く状態で、すなわち「天の行くこと健なり」と易にあるごとく。康は「和なり、楽なり、安なり」で寒暑にも苦痛を感ぜず一日も休息することなく、病気することもなく、愉快に働くことのできるのが健康である。

 ゆえに小さくとも痩せていても或いは顔色蒼くとも最もよく働き休まざる人こそ真の健康者と称すべきである。大兵肥満の人に健康者なく長寿者なく、かえって通常以下の人に長寿者の多きことは、見栄の健康と、真の健康との相違せる結果に他ならないのである。
最近のドイツの統計においても、平均体重の少ない人に長命者多いことが証明された。

 病に冒されざらんことを願わば摂養をおこたらざるは勿論であるが、常に元気に満ちていなければならぬ。伊藤仁斎は、百病は一気の留滞に起こる、一気とは元気、元気とは宇宙に存する一種霊妙の力である」と。

 我々のうちに気力の抜けたことに病が進入するのである、死が見舞ってくるのである、これを退却させるのはすなわち活力である、元気が満ち満ちていることである。

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[ 2009/08/27 13:35 ] 百歳長生法 | TB(0) | CM(0)

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