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学問・技術は名師よりも明師につく 

No.7182 三輪神社 狭井神社
Photo by (c)Tomo.Yun

およそ瞑想や鍼灸に限らず、学問・技術で道をなそうとするのなら師につかなければなりません。無師にて大成するのは一部の大天才のみです。

多くの人は先人が築きあげた足跡を踏むことによって、回り道や失敗を避けることができます。本や聞きかじった知識だけでは、大きな失敗をしたり時間を無駄にすることにつながるでしょう。

ですから必ず良い師を探し、学ばなければなりません。
ではどのような師につくのが良いのでしょうか。

すなわち「名師ではなく明師につくこと」です。
名師とは学術・技術が素晴らしく有名な方のことです。
明師とは学術・技術の道理に深い理解をもっている方のことです。

なぜ名師と明師を分けるのかといえば、名師は必ずしも明師ではなく、
明師もまた名師ではないことがあるです。

このことは野球の事例が参考になります。
名選手が名監督になれないこともあれば、現役時代に活躍できなかった人が素晴らしい采配を振るうこともあります。

なぜそのようなことが起こるのかというと、天才型の人は原理を深く追求する必要がないからです。自分が簡単にできたことを考える必要はありません。やってみたら出来たという世界なのです。

ですから後進が同じ事を出来ない際に、なぜ出来ないのかわからないという事態になります。技術的に高度であることをブレイクダウンして伝えるには、技術の起源や原理について深く理解していなければなりません。

努力して大成した師は、技術の原理を人に伝えられるように分解することができます。また問題を乗り越えることに苦心したため、明確に技術の原理や限界を理解しています。

それゆえに学ぶのならば、学術・技術の高い有名な人であるよりも、原理・道理に深く通じた師がよいわけです。
そのような明師ならば、あなたの理解できるようにわかりやすく技術を体系立て、順序良く学べるように段階を教えてくれます。

あなたは師の言葉を素直に受けとめ、よく努力し段階を登り原理を理解していくのです。けれどもまずは良い師につかなければなりません。

そのためには本やネットでの情報に惑わされず、直接会い・話を聞き・言動をよくよく見極めることです。異説が入り乱れ真偽が定かではない世界で、偽の師にひっかかってはいけません。

もしも何かを学びたいのであれば、明師に教えを乞うことを意識してください。

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[ 2011/01/08 11:54 ] 雑感 | TB(0) | CM(0)

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