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「受け入れる」とは「あきらめる」ではない 

No.2459 タコ岩のある風景
Photo by (c)Tomo.Yun

スピリチュアル関連の本を読むと、「受け入れる」という言葉がよく出てきます。
いま・ここで起きていることを受け入れるのは、こころの平和にとって必要不可欠です。

ところが受け入れるの意味を「あきらめる」と勘違いする人がたくさんいます。
とても大切なことですが、「受け入れる」とは「あきらめる」ではありません。
「受け入れる」とはいま・ここに在ることです。
自分自身や周りの世界をこれでよしとすることです。
お金が無い・容姿が悪い・地位が低いなどの個人的なこと、貧困者があふれている・戦争が世界中で起きている・環境破壊が深刻であるといった社会的なこと。

それらに対して「かくあるべし、こうでなければならない、そうでなくては嫌だ」という思考を捨てることが受け入れることです。

ところが「受け入れる」を「あきらめる」という意味に取ると、非常に困ったことになります。
ある人は言います。「人生は努力して変えていかなければ勝者になることはできない。あきらめるなんて敗者の考えだ」
「あなたは不平等や貧困にあふれたこの世界を、このままほっておけというのか」

「受け入れる」とはこれで全てはよく、起きることはただ起きているとするのです。そのうえであなたが自己啓発や社会改革がやりたいのならやればいいのです。重要なのは「嫌だ・ダメだ」という否定から始めていると、こころの平和はいつまでも訪れないということです。

一方で「全ては神のおぼしめし」とあきらめて、本当に何もしない人がいます。のんべんだらりと生きている、必要なものは神が与えてくれると信じている人達です。具体的には仕事が欲しいと神に祈っているだけで就職活動をしないような人です。

このような人には決して平和は起こりません。なぜなら平和のためには「強烈な決意とあなたにできる最大限の行為」が求められているからです。

最終的には努力は自動的に起こったものであり、努力している自我は存在しないことが理解できます。ですがとにかくあなたは師について瞑想をしたり、ヨーガや気功をしたり、聖者の言行録を読んだりできることを何でもしなければいけないのです。

ラマナの弟子であるプンジャジは「1日30分を瞑想にあてるだけで、いままでと同じ生活をしながら悟りたいというのは笑い話である」と言っています。

「受け入れる」ことは大切です。決して「あきらめる」ことではありません。
受け入れはじめるとこころの緊張が無くなり、身体とこころにパワーが湧いてきます。そのパワーがあなたのやりたいことを自動的にさせはじめるでしょう。

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[ 2010/11/05 14:45 ] スピリチュアル | TB(0) | CM(0)

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