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コーランを燃やすことの鈍感さについて 

No.7692 アブ・バカール・モスク
Photo by (c)Tomo.Yun

9/11テロに対するイスラム教への抗議として、アメリカでコーランを燃やそうという企画がありました。世界中のイスラム国で抗議運動が起こり、バチカンやドイツ政府などの反対もあって中止になりましたが。

企画したプロテスタント神父はこのように言っています。

「コーランはこの世で最も邪悪な書物である。
イスラム教は危険な宗教である」

なぜ上記のような発言がでるのでしょうか。

それは非常に大きな鈍感さ-明敏でなく静かでもない騒々しさ-があるためです。

神父はコーランの内容について訊ねられると、知らないと言い切りました。他者が大切に思っている物事に対して、知りもせずに否定しています。

生きることに対して、自分自身や他人に対しての鈍感さがあるからこそそのような発言が出てくるのです。

もしも自分がそのようなことをされたら、どのように感じるのだろうか。
もしも自分が同じ立場に立たされたら、どうするのだろうか。

他者への想像力は、静かなこころから生じる繊細さによって養われます。
こころがいつも騒がしく何かをしなければならないと考えていると、繊細さは消えうせます。鈍感なこころは他者をおもんばかることができず、自分の正しさだけを大声で叫ぶのです。

コーランを燃やすと言っている人たち。
コーランを燃やすと言われて怒っている人たち。

相方ともにまずはこころを落ちつかせることが重要です。
なぜ怒っているのかと自分に尋ね、そして怒っているのは誰なのかと自分に聞いてみるのです。

そうすればこころが静まり、人に本来ある繊細さが戻ってきます。
本は本であり、それはあなたでもイスラム教でもない。そんな風に理解できれば本を焼くことなど誰もできないでしょう。

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[ 2010/09/12 16:05 ] 雑感 | TB(0) | CM(0)

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